司馬遼太郎を叱る

司馬さんの話をする際には、かなり気をつけてを付けて喋らないと、関西学院大学名誉教授の谷沢永一氏が発狂してしまう。しかし、フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)に書いてある司馬遼太郎の書く人物の書き方についての評価は次のようになっている。①作品中の人物像の内面的描写にはそれほど深入りせず人物像が浅薄であるとされたり、長編では主題が破綻しているとの批判もある。②雑多な人物がつぎつぎに登場し、ゴシップを振りまいてはきえてゆくというグランド・ホテル形式の小説として成功している作品もある。 とある。
これを書いた筆者に座蒲団10枚である。

では、司馬遼太郎の破綻した「司馬史観」の実例として、小説「殉死」から  希典がこの幼い皇孫に口やかましく教えたのは一にも御質素、二にも御質素ということであった。・・・・・前時代人の美的精神をかたくなに守り、化石のように存在させ続けた。・・・・・この人格に幼少の人間が「無心に親しむ」ことは誰でも危険と感じる。・・・
ちょっと待ってくれこの幼少とは昭和天皇以外の何者でもないではないか。今は天皇批判も自由だろうが昭和天皇は今でこそ議論するとすぐ右寄りだというへんてこりんなのが居るが、昭和天皇こそ敗戦を経験しても皇帝にとどまった有史以来初の君主である。敗戦の危機に際して、内閣が崩壊し「聖断」を仰いでからが凄いではないか。中国を身よ!明末期最後の最後での毅宗皇帝は泣いて、「ああ天子の家に生まれなければ良かった」と皇女を絞め殺して自殺した。政府の高官は、土下座して敵軍清朝李自生を迎え、万歳と歓呼した。歴史を見るとこんなもんである。見方が突然自分に襲いかかって来るではないか。

小室直樹博士は言う。
この聖断をあのタイミングに断乎として下した昭和天皇の決断力も奇蹟なら、雷霆(らいてい)の威が最後まで失われず、社稷の臣(しゃしょくのしん)、百万の罷熊たちまちこに従うのも奇蹟である。
私は小室博士の意見に賛成である。
司馬遼太郎が人間観察に疎いと言われるのは「間違っていないと思う」